2013年9月5日木曜日

2013年7月10日ウィリアムさんのレッスン2回目

ウィリアムさんのレッスン2回目が7月10日にありましたので
大変遅くなりましたが、レポートします。
2回目は江東区にあるウィリアムさんの自宅でおこなわれました。

1、最初に身体についてコンサルティング
最初に私の体調のコンサルティングです。
前回ならったことを組み合わせて自分なりにトレーニングしたところ
筋肉痛があることとあんまり効果がみえないことを話しました。
すると、トレーニング自体がまだいまの身体の状態にあっていないとのこと。
10分ゆっくり走って脈拍を上げて
20分息切れがぎりぎりおきないくらいのペースにあげて走り
10分クールダウンする
走り方がいい、と提案されました。
心拍数があがっている状態が一番中性脂肪が燃焼されるらしいです。
また、週に3回以上すると効果があるといわれました。
体調は運動、睡眠、食事、この3つに左右されるそうです。
それぞれ1つだけが改善されてもだめで、特に運動と食事は密接な関係だと教わりました。
食事に関しては吸収、消化、排泄の3つがあり、
そこから酵素の話になり、感情のコントロールの話になり、、、
このコンサルティングだけでもかなり目から鱗がおちました。

ウィリアムさんは「病気でないことが健康ではない」と言ってました。
マラソンランナーが走っているように一日を生きることが理想だといいます。
たしかに、歩く1日よりも走る1日が実現できたら自分のパフォーマンスがかなりあがりそうです。

・レッスン
コンサルティングがおわってからレッスンに入ります。
まずは前回の復習。
身体の全身に意識がいっている状態をつくってから、実際に動きます。
2回目では目の前の本を取るような動作を繰り返しました。
ただ、片方の手を本を取るようにあげるだけなのですが
リアリティーをもってやろうとするのが、まず、難しいですし
うまくできた、と思っても、それをもう一度再現しようとすると型にはまった動きになります。
「型」というものについてちょっと考えさせられました。
一刻一刻と身体の状態は変わっていくので
そのときの型が正しいとはかぎりません。
しかし、武道の型というのは、逆を言うとものすごい純度の動きなのであろうと思いました。

そのあとに身体全身を感じながら声を出す練習をして
声の範囲を知るワークにはいりました。
下の方から上の方までの音域を声にだします。
もうでない、と思ったところで、一度息を吸って、
身体の意識を確認してから声をもう一度だすと、思った以上に声がでました。
私の場合は声が高いので高いところはあまりかわりませんでしたが
低い方が出たのがうれしかったです。
あと、遠くにいる人を想像して大きい声を段階的にだしていきました。
これは途中でリアリティの壁にぶちあたりました。
恥ずかしさと、自分の中の大声を出す必然性を感じないのの両方があると思います。
何か壁が立ちはだかるように声をそれ以上だすことにブレーキがかかりました。

そして、最後に朗読をしました(盛りだくさんでしょ)。
ここでもリアリティの壁にぶち当たります。
もはや演劇です。
リアリティの持ち方、自分の気持ち、また、テキストの持ち方までアドバイスをうけます。
朗読では下記のようなおもしろい本を紹介してもらいました。
『音読・郡読エチュード』
http://ibunko.com/book_etude.html

以上で終了です。
たっぷり2時間ちょっと。

・後日
話を受けてジョギングをしはじめました。
身体を感じながら走ると「こんな感じなのか!」と発見が多い。
集中するってこういうことだったのか、という感じ。
身体の状態を絶えず心がけ、自分がしていることへの注意をそらさずにいると
視野を広くもった上で必要な情報しか入ってこない状態になりました。
これはスポーツ選手とかそういう気持ちなんでしょうか。

芸術家みたいなタイプは集中の仕方がちょっと違う気もします。
環境に対して集中するのか、対面している素材に対して集中するのかの違いでしょうか。
集中にもいろんな種類があるのだと思います。
でも、ようは意識の持っていき方だとおもうので、
身体の状態さえ感覚でわかっていれば、どんなものごとにでも応用できると思う。
(デスクワークなどに応用したいです)
集中すると周りのものが目に入らなくなるのか、と思っていましたが、
こういう集中もあるのだと驚かさせれました。

本当に、全身に意識を集中すると、自分の身体に対していろんな発見があります。
どう腕を降るかで腰の感じが違うとか、
走る早さは足だけじゃなくて、腰の回転が問題だと感じたりとか。
そういった全ての驚きが気持ちいいです。
体全体がライブ会場のオーディエンスみたいで
私がステージから何かをすると身体(オーディエンス)が「イエー!」みたいな。
この感じはなんていうのか、と思ったら
恐らく快感なんでしょうね。
快い感じです。
身体と対話ができると快感を感じながら生きることができるのだと思います。
散歩中の犬の喜びってこんな感じなのかな、と思いました。

次回は3回目です。
またレポートしたいと思います。

2013年7月10日水曜日

2013年6月25日徳久ウィリアムさん個人レッスン記

もともとの発端は先月に出席した体育会系ロボット学です。
ロボット将棋の話から、将棋のプロにはトレーナーとかがついていないが
オセロのプロは試合前にホテルの一室を貸し切って、栄養士とかメンタルのトレーナーとかコーチとかとこもってコンディションを整える、みたいな話をきき
私もトレーナーが欲しいと思ったことでした。

そこに元ご近所さんでもあり、先輩でもあり、tonesのメンバーでもあるウィリアムさん
最近のワークショップの洗練度合いがすごすぎて、
思い切ってウィリアムさんの個人レッスンを受けてみよう、と思う次第になったのでした。

考えてみると、受けるにあたって、自分自身作品を作りたい欲求もあり
何か声で表現ができるようになったらよいと思っています。

6月25日に早速第一回目のレッスンをお願いしました。
第一回目のレッスンはクラヤミノtonesでもやっているような
神経トレーニングがメインでした。
神経トレーニングとは私が受けた印象で説明すると
「全身の神経を起きさせること」です。
身体の機能と言うものは使っていないと衰えるそうです。
普段意識を向けないようなところにも意識をむけ、全身の感度を上げます。

1、足の裏を感じる
まず足の裏に感覚を集中させます。
うまく立とう、とか、ちゃんと立とうとか思わず、
自分の身体を一つの自然現象と捉えながら、足の裏に意識を持っていきます。
足の裏に意識を持っていきつつ、自分の身体の感じを眺める感じでしょうか。
下の写真は私の足の裏の感じ方の図です。
段々と足全体に意識がいったような気がします。



2、意識する部分を上げていく
今度はだんだんと意識を上に上げていきます。
足、下半身、上半身、頭、と上げていくのですが
意識が敏感になったところほど身体と外の境界線が曖昧になる感じがします。
下半身の意識を上半身に伸ばすところなんか、
下半身がとけ込んでて上半身だけ輪郭がある感じでおもしろかったです。
上半身にも意識が伸びると、
今度は身体の中に風船が入っているような感じがしました。
呼吸をしているお腹のことですね。
そして、ウィリアムさんに自分がいまどういう状況か報告しようと声を発するたびに
声を発することで全身が微妙に変化していることがわかります。
人間の動きというのは些細なことであれ、全身運動なのだということがわかります。


3、滞りなく動けるようにする
ここから少し難しくなるのですが(私の印象)
全身に意識を伸ばした状態で、すぐに動ける状態を作ります。
ウィリアムさんの感覚でいうと
「足の裏に紙が一枚ある感じ」「滞りなく動ける状態」
ということですが
なんとなく分かったような気がする一方で、やっぱりちょっと難しい感じがします。
でも、この状態がわかったらすごく楽に日常が過ごせるような印象もします。
(これはいま、レッスンから2週間経ちましたが、毎日意識しています。
やっぱり難しいですが、全身にうまく意識がいくと、
身体っておもしろいなー、と思います。)
(また追記:足の裏に髪が一枚ある感じ、と滞りなく動ける状態はちょっと違う気がします。
これについては次回。)

4、すぐにでも全力で動けるようにする
今度は3の発展のような感じです。
「すぐに全力で動けるようにします。」
例えば、100M走の選手のスタートの時の状態です。
外野を守っている高校球児、または試合中のサッカー選手のような状態でしょうか。
何かが起こったときに全力で動けるようにします。
そのときに使った動きが下の動きなのですが、



正拳突きの用な感じで、片方の腕を突き出し、逆の足は上げます。
これを左右繰り返すと
その場で上半身は正拳突きを繰り返す
下半身は全速力でダッシュするような感じになります。

これが見た目はとても滑稽なのですが10秒やると
全身が痛くなるくらい負荷がかかります。
短時間で全身に運動をさせたいときはこの動きはとても効率的だと思います。

5、息の範囲をしる
最後に息を吐ききることで、自分の息がどのくらいの範囲なのかを知りました。
とにかく吐ききる。
もう吐けないかな、というところからちょっとがんばって吐ききります。
また、吐くときに声を届けたい範囲を意識する、というのをやりました。
よく「息が届いた人」とかいいますが、
声が届く、ということは息がちゃんと届くことだと教えてもらいました。

最初のレッスンはこんな感じでした。
やったことを順序だてて、1、2、3、と書いてますが、
①全身に意識を張り巡らせた状態
②自然に全身で滞りなく動ける状態
③すぐに全身で全力で動ける状態
の3状態を作り出す練習でした。
とにかく、全身に意識を張り巡らせる状態を準備する、ということがテーマだったと思います。
このレッスンの後、全身に意識を張り巡らせて動く、ということが集中力に直結することだと私は感じました。
余計なことを考えなくなります。

レッスンの内容もとてもいいですが、
この内容には書いていない、レッスン中のウィリアムさんとの雑談もとても勉強になる物でした。
次回は声にうつります。

最初の動機から、私は声のレッスンに特化していますが
ウィリアムさんは本当にいろいろできるので、いろんなレッスンをカスタマイズしてくれるそうです。

と、次回はこれを書いている7月10日、いまからです。
いってきます。



2013年6月26日水曜日

6月22日クラヤミノtones「クラヤミノボイストレーニング」第二回

Facebookにも書いたことそのままですが、転載します。

6月22日(土)にクラヤミノtones「クラヤミノボイトレ」第二回目が渋谷UPLINK Roomで開催されました。少し時間が経ってしまいましたが、当日の様子を参加者の目線でレポートさせていただきます。

最初に前回の振り返りもかねて、参加者の方から前回以降実際に前回学んだことどう実践したかの簡単なインタビューがありました。片鼻(かたはな)呼吸を実践した人、実際に真っ暗にして声を出した人がいました。技術のやり方は言葉で伝えることはできるけどそれを「できる」感覚はそれぞれの個人によるものだ、という話がありましたが、その実践の仕方もそれぞれです。

その後に瞑想と坐禅の違いを明らかにした上で、なぜ、クラヤミノtonesでは瞑想の手法をボイストレーニングで採用するのかという話がたむらさんからお話がありました。その違いは瞑想はフラットな心を作ることであり、坐禅は正しい型を実践することだといいます。言い換えると、瞑想は自分の中で起こった感情を評価しないで認める行為だとたむらさんは説明します。例えば、ボイトレの中で声がうまくだせなかったときに、「でないな(だめだな)」になるのではなく、「いまの自分の声の範囲はここまでなのだ」と思うことが大事だといいます。これは新しいことを学ぶ時には必要な姿勢だといいます。

瞑想の態度(と言わせていただきます)を学んだ後に体全体の感覚を感じるワークをし、立ち上がって歩きながら瞑想をしました。わき上がった感情を感じて、認めます。

ここら辺から会場は完全暗転します。前回、ウィリアムさんは「神経は使わないと衰える」と言っていましたが、今回は「感性も使わないと衰える」という話をしていました。だから、ワーク中、感じたことでシェアしたいことはどんどん声にだしてシェアをしてください、といっていました。

前回と同じように足の裏からだんだんと全身の神経を鋭敏にしていき、身体全体ですぐに動ける状態にします。その後で、実際に声を出していきます。声は息だとウィリアムさんはいいます。だから、全身で息を吐き、吸う作業のなかで、自分がどれくらい吐けるのか、吸えるのか、息の範囲を知るワークを最初におこないました。

その後に、モンゴルのオルティンドーという音楽のなかの「オーハエ」を課題曲にして3グループにわかれて実際に歌いました。真っ暗なので楽譜も歌詞カードも意味はありません、ウィリアムさんの声を真似して、実際に歌って、というのを繰り返します。この曲を低いキーから高いキーまで半音ずつ上って下がります。その中で、声の高さの範囲を認識します。「でないな」ではなくて、この範囲なんだ、といまの自分を受け入れることが重要だといいます。

見学(聴学?)をしていてモンゴルの曲なので意味はまったくわかりませんが、なんとなく懐かしく、落ち着けるメロディーの曲でした。繰り返し繰り返し同じフレーズが真っ暗の中で立ち上がりますが、その都度、大きな柱が真っ暗の中に浮かび上がるようでした。大きな波が来ては去り、来ては去りしているような、自然現象を眺めているような感じでした。

1時間のクラヤミ時間が終わると会場を少しずつ明るくしていきます(歌声がよくて10分くらい延長しましたが)。明るくなってからは2人組になって、息の長さ、声の長さ、息止めの長さの記録をつけます。つけ終わった人からUPLINKのドリンクバーでドリンクを交換し、戻ってきた人からドリンクを飲みながら感想をシェアします。

たむらさん、ウィリアムさんは「伝えたいことがいっぱいあるのでばーっと言うのですが、その中で1つでも持ち帰ってもらえれば」といいます。お客さんからは「評価をしないで自分をとらえることをもっと大切にしたい」「思考が悪循環になったときは身体の力をぬくだけでもいいのだと思った」「オーハエをやって言葉の意味ではなく気持ちのいい発声の方が大事なんだと思った」「普段歌うときは頭と喉に集中していたけど、今日は冷静に唄えた」などの感想がありました。

最後にたむらさんから「毎回とっている記録も数字の成果をもとめているわけじゃなくて、『やってみる』ことを大事にしてます。何があっても『そうだったのね』と認める、そういう考え方を知るのか知らないのでは違います」とお話が。ウィリアムさんからは「何かを変えようとすると必ず結果がでます。いい結果でも悪い結果でも小さな出た結果を喜んであげる、言葉と態度で表してあげるよい」という話がありました。

チャレンジしてうまくいかなくて嫌になっちゃう、というのは日本人にありがちな態度ですが、どんな結果でも自虐的にならないで、認めて、チャレンジしたこと自体を喜んであげるという方法があるのだな、と思いました。

前回は一人一人の発声ということで点、今回は歌と言うことで線、次回は即興ということでその線で描く、というフェーズに入ります。楽しみですね!見学は受け付けています。ぜひ、遊びにきてください。(渡辺)

クラヤミノtones 3周年企画第2弾「クラヤミノボイストレーニング」  18:00開場 / 18:30開演 (~21:00終了予定) | http://t.co/YWreDck0yq @uplink_jp




2013年5月29日水曜日

5月25日クラヤミノtones「クラヤミノボイストレーニング」

少し遅くなってしまいましたが、5月25日にクラヤミノtones「クラヤミノボイストレーニ
ング」を実施しましたのでレポートをさせていただきます

暗闇でのボイストレーニングを医学・心理学の立場からたむらさんが、実際に声を出している実践者としての立場からウィリアムさんがアプローチしていきます。お二人に共通しているところは原理原則への興味だということです。立場が違うので言葉は違う場合はありますが、ニュアンスはとても近い場合がありました。重要なところが何度も言葉を変えて、いろんなアプローチで投げかけられるのでとても厚い(熱くもある)レクチャーでした。

実際に声が出せる、とか、テクニックを習得しているのも重要だが、声を出す自身の状態がよくなければいい声は出せないし、自分の状態、自分の声の状態をメタに、客観的に見れないといけない、とたむらさん、ウィリアムさんは言います。この二つを組み合わせて講座ができるのはこのお二人のタッグだからだと思います。

クラヤミノボイストレーニングでは最初に参加者の身体の機能の状態を数値で記録をとりました。
・何秒息を吐き続けることができるか
・何秒声を長く出せるか
・何秒息を止めていることができるか
などを、2チームになって記録をとります。
こんなことはなかなか日常することはないので、いきなり、自分の状態に対しての驚きがありました。

次に呼吸と息に関しての実践と記録をした自身に対していま何を感じているか、自分の身体の状態がどうかを書き出しました。そして、たむらさんからマインドフルネスの座学があります。ストレス低減法ともいい、ヨガや禅をベースにした自分自身を知る、コントロールする手法です。たむらさんは「自分が感じている気持ちにポストイットを貼るようにラベルをはっていくことが重要だ」とおっしゃていました。呼吸をしながら自分のいまの感情を感じるというワークを座学の後でおこないました。

これまでで、自分の身体のいまの状態を知り、自分気持ちのいまの状態を感じました。ここで徐々に暗闇にうつっていきます。

暗闇の中ではウィリムさんのワークがはじまります。今度は自分の意識を内面ではなくて外側に広げるようなワークが行われました。ウィリアムさんのインストラクションに従い、俯瞰するように、全身に意識を向けます。こうすることによって全身の神経が動き始め、様々な感覚が立ち上がります。その状態で、即座に動ける状態を作っていきます(100M走でスタート地点にいる陸上選手のような状態)。

「言葉で手法をシェアすることはできますが、自分ができるときのその感覚は自分だけのものです。できている感じを感じ取ってください」とウィリアムさんはいいます。この状態ではお客さん同士も自分の手すらも見えません。自分の意識に集中した状態で、どうすれば意識が、感覚が外に拡張するいい感じを作れるか、参加者は探ります。

その後に声を出していきます。息に声をのせる段階から徐々に音の高低、音量の大小などバリエーションを出していくのですが、参加者の方々の声がこのとき躍動しているというか、生命力に満ちていました。最後の5分程は参加者のみなさんは自分がどんな声が出せるのか、いろいろ探られました。

ここでだいたい2時間です。あっという間の時間でした。徐々に会場を明るくしていきました。

明るくしたあとはもう一度、最初にしたテストをおこない、最初の状態との差を定量的に見てみます。

最後の振り返りでは様々な意見、感想、質問がでました。このときの感じ方が人それぞれだったのが、このワークの感じ方はそれぞれだ、ということに共通していたかもしれません。

終了後にはメーリングリストが立ち上がり、ウィリアムさんから当日のワークの構成表が送られてきました。体験を忘れないようにするためのヒントも添えられていました。日常の中には刺激が満ちあふれています。様々な快感、不快、喜怒哀楽、そういったものの中で、どうしても暗闇で体験したことというのは日常の感覚とは遠いものでもあります。しかし、めちゃくちゃ、貴重で身につけておくべき身体の感覚です。

ウィリアムさんのメールには「知識は、日々の生活の中で得た実感でしか身になりません。学びは、自分なりに実行しなければ、学んだとは言えません。」とありました。まさにその通りですね。このボイストレーニングはちょっとした非日常的な体験というよりも、日常で活かすべき様々なヒントが含まれるワークショップです。

気軽な参加ではもったいないですが、興味があるな、と思った方は参加されると得るものは大きいと思います。

次回は6月22日(土)課題曲習得編。見学者のみ募集しています。下記からお申し込みください。
http://www.uplink.co.jp/event/2013/11563




2013年5月24日金曜日

体育会系ロボット学に出席しました。

https://www.uchida.co.jp/seminar/130521/index.php


「守破離」-ロボットの運動知能(京都大学・松野 文俊 氏)、人間のプライド(公立はこだて未来大学・松原 仁 氏)、現象学的にロボット学を捉えると?(大阪大学大学院・大須賀 公一 氏)、想定外シミュレータ(産業技術総合研究所・野田 五十樹 氏)、消えるロボット(慶應義塾大学・稲見 昌彦 氏)の5つの講演を聞いた。

この登壇者5人のうち4人が体育会系の出身だからこの名前がついたらしい。プレゼンで決まっているのははじめに自分の運動歴を紹介する事と、そことつなげて自分の研究を紹介する、ということだったのだと思う。

個人的には松野氏と松原氏のお話がおもしろかった。松野氏は生物の動きをロボットで再現する、という例をいくつか話してくれた。最初に運動部の大車輪、蛇、そして、群れで動くアリ。群れで動くアリに関しては単体での動きではなく、近くにいるアリと情報をやりとりし、近くにいるアリとの状況を保とうとする事、例えばある一定の距離を守るということ、によって、全体の動きがうまくいく(例えば全員、障害物がよけられる)。

これらは動きを同制御するか、であって、自分の身体にあった運動をするという性質は現れていない。そこで、学習するロボットというのを作ったらしい。それは繰り返し失敗を繰り返して目標を達成するというプログラムなのだけど、四肢のついたロボットが大車輪ができるようになる例が紹介された。そうするとモーターの位置の関係なのだと説明されていたが、人間のやる大車輪と違う大車輪をロボットはするようになる。

松野氏が言っていた「知能は身体に宿る」、「集団の群れの知」というキーワードがとても気になった。

続く松原氏はコンピュータ将棋の話をするのだが、計算主義の立場から言うと人間がコンピュータに将棋で負けるのは当然だったと話しをされていた。それはそうだな、と思うのだが、チェスのチャンピオンと将棋の選手の違いの話しで、チェスのチャンピオンには栄養士やコーチが着いて、試合前にはホテルの1フロアを貸し切って準備するという話が、本当かどうか調べていないが、面白かった。身体を使ってする作業であるかぎり、知能を使ってする作業である限り、どちらのコンディションの調整も大事なのだと感じられた。

体育会系といってもスポーツのときはめちゃくちゃ頭をつかっているし、頭脳系といってもアウトプットの際は身体をつかうわけだから、どちらも切り離せないのが当たり前のわけだ。

そこにきて、どちらに偏ると人間は簡単にコンピュータに負けてしまう可能性があるのだと思った。力や速さでは当然、コンピュータの制御するマシーンにかなわないし、将棋やチェスだってコンピュータのプログラムにはかなわない。でも、まだ、どちらもバランスがとれて出来る人はコンピュータにはまだまだ負けないだろうな、と感じた。

あとは大須賀氏のシュミレーションの話もおもしろかった。人間が気づかないボトルネックをシュミレーションをすることで発見する事ができる。でも、それは実際の状況ではないので、あくまでもシュミレーションだと思って人間は柔軟に対処できないといけない。でも、失敗は小さくすることができる。

頭脳と身体、両方とも鍛えていく事、その上でコンピュータを利用する生活、というのが一番賢いし、めざすところだと思いました。